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★能にしたしむ会情報を更新しました。

 

 

最終更新日'18.06.26

人に惚れた

久しぶりに人に惚れた。舞台人として、人間として。
一昨日の『能にしたしむ会』に御出演頂いた、山本東次郎先生に惚れた。

もとより先生の素晴らしさは自分なりに判っていたので、自分の催しに是非にとお声がけさせて頂いたのだが、当日楽屋へお越しになられてからのすべての立ち振る舞いに、感銘を受けることになる。

私にとってこの『能にしたしむ会』という催しは、亡き親父さんからバトンを受けた催しだが、父の追善というサブタイトルをつけることができた昨年までとは違い、今回は実質自分の催しとしてのスタートでもあり、今まで以上にプレッシャーを感じていた。その中で必要だった要素が、まさに山本東次郎という存在だった。

舞台では私の『弓流』の『那須』を、御年76歳とは思えない力量で勤めてくださった。今回、息子の初シテという『話題』はあったが、所詮子供の舞台。我々親子の非力さを先生が充分にカバーしてくださった。

「今日はお招き頂いて、本当に嬉しゅうございます。」
「大勢で寄せて頂き、散財させて申し訳ございません。」

私如きの青二才に対しても、丁寧なお言葉遣いと気配りを、上辺だけでなく心のこもったメッセージとしてかけてくださる。この低姿勢ぶりを拝見して別のある人物のことを思い浮かべた。

三世茂山千作先生。先だって他界された四世千作先生のお父上であり、四世とはまた違った芸風で人間国宝になられた名人である。この先生は私が若かった頃にお亡くなりになられたのだが、それでもその立ち振る舞いは充分に印象に残っていた。

能楽界はご存じの通り、昔はシテ方絶対主義で、御三役(ワキ方、囃子方、狂言方)とはいわば主従関係の時代があったのだが、今では同じ立場の一能楽師として成り立っている。ただ三、四十年前までは確実にその名残があり、我々シテ方に対して恐縮するほどの丁寧な接し方をされる方がいらっしゃった。三世千作先生はまさにその一人で、人間国宝になられた後でも必ずシテ方の楽屋に「おつとめさせていただきます。」と深々と頭を下げてご挨拶くださった。

それから時代はさらに進んでいる現在においても、その姿勢を貫かれる方こそが東次郎先生なのである。催しのあった晩に、祇園のバーで再び東次郎先生と御一緒させて頂いた。その時に失礼ながら前述の三世千作先生のエピソードをお話しさせて頂いた。先生は私の話に何度も頷かれ、「その通りなんですよ。おつとめさせて頂いているのです。」と。

シテ方と三役の関係は持ちつ持たれつで、どちらの存在もなくてはならないものなのである。その上での先生のお考えは、能の大半の興行主であるシテ方がまず存在して、催してもらわなければ自分達の仕事はない。狂言師が狂言師としてだけでなく、能楽師狂言方としての意識をいかに持ち続けるかが大事である。それ以上に純粋に舞台に立たせてもらえることへの感謝の気持ちを持っていれば、自ずとそうなるということのようだ。

「つとめる」という言葉を我々はよく使うが、どの漢字をはめるのが適切なのかその都度悩む。「勤める」「務める」「勉める」「力める」。東次郎先生のお話を伺って、そのすべてが必要なのだと心底感じた。口に出せないまでも心の中で「おつとめさせていただきます」という言葉が素直に出せるようにならねばと思う。

今回ご依頼させて頂いた時点では、まだ人間国宝でいらっしゃらなかったのだが、その後認定を受けられ、催しの予算が上がった(笑)。でもそんなことは関係なく、余りあるほどの勉強をさせて頂いた。

名実ともに真の人間国宝の四世山本東次郎、この人に惚れた。